「FIREしたら、毎日何をするの?」、FIREや早期リタイアの話をすると、かなりの確率で出てくる質問です。
さらに話が進むと、「仕事を辞めたら生きがいがなくなるんじゃない?」、「社会とのつながりがなくなったらつらくない?」、「何か打ち込める趣味を作った方がいいよ」といった心配までしてくれます。
確かに、仕事しかしてこなかった人が突然会社を辞めれば、時間を持て余すことはあるでしょう。
人との接点が減って寂しくなる人もいるでしょうし、何かやりたいことがある人なら、それをFIRE後の生活へ持ち込むのも素敵だと思います。
ただ、私は最近、この話を聞くたびに少し引っかかります。
そもそも、人間には生きがいが必要なのでしょうか?
なぜ仕事を辞めた途端に、今度は「人生の目的」を見つけなければならないのでしょう。
会社員時代に「成果を出せ」、「成長しろ」、「目標を持て」と言われ続けてきたのに、ようやくそこから解放されたら、今度は「趣味を持て」、「社会貢献しろ」、「第二の人生を充実させろ」と言われる。これでは休む暇がありません。
生きがいを持っている人を否定するつもりはありません。
家族、趣味、仕事、ボランティア、創作活動など、本人が自然に大切だと思えるものがあるなら、それはとてもいいことです。
私が疑問に思うのは、「生きがいがなければ人生は不完全だと思い込んで、わざわざ生きがいを探し始めること」です。
もしかすると私たちは、「人間は何かを成し遂げなければならない」、「有意義に生きなければならない」という言葉をあまりにも長く聞かされ、自分で自分へ暗示をかけているだけなのかもしれません。
この記事では、その状態をあえて「生きがい病」と呼びます。もちろん医学上の病名ではありません。「人生には立派な目的が必要だ」と自分を必要以上に追い立ててしまう状態を表す、この記事だけの比喩です。
40代独身でFIREを目指すなら、資産額や4%ルールを考えるだけではなく、「何もしなくても、自分の人生を失敗だと思わずにいられるか」について一度考えてみてもいいと思います。
- FIRE後の生きがいを心配する前に「なぜ必要なのか」を考えてみる
- 「生きがい」と「楽しみ」は同じではない
- 生きがい探しは「人生にもKPIが必要」という会社員病かもしれない
- 「生きがいを見つけなければ」という自己催眠
- 世間体という「ウイルス」が生きがい病を広げる
- 40代独身は「生きがいを説明しろ」と迫られやすい
- FIRE後に「やることがない」と「生きがいがない」は別問題
- 「生きがいを見つける」はFIRE後の新しい仕事になりやすい
- 「社会貢献しなければ」という善意もFIREを縛る
- FIRE後の罪悪感と「生きがい病」は似ているが別物
- 「何もしない」は人生の損失ではなく、FIREで買った商品そのもの
- 一本の大きな生きがいより「小さな楽しみの分散」でいい
- 趣味まで「上達」「収益化」しなくていい
- 「人生の目的がない」は問題ではなく、答えを要求されていることが問題かもしれない
- FIRE後に生きがいがなくて困る人と、困らない人
- FIRE後に必要なのは「生きがい」より自分で機嫌を取れること
- 生きがいを持たない自由まで含めてFIRE
- 何もしない人生は本当に「もったいない」のか
- 40代独身だからこそ「自分だけの正解」が作れる
- FIREは「何者かになる人生」から「ただ生きる人生」への移行かもしれない
- まとめ|FIRE後まで「立派に生きる」必要はない
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FIRE後の生きがいを心配する前に「なぜ必要なのか」を考えてみる
「生きがい」という言葉には、とても良い響きがあります。
生きがいのある人生。生きがいを持って暮らす老後。仕事以外の生きがいを見つける。定年後の生きがい。
否定しづらい言葉です。「生きがいなんて別に要らない」と言った瞬間、何となく投げやりな人、生きることを諦めた人のように見られることすらあります。
しかし、ここで一度考えてみたいのです。
朝起きてコーヒーを飲む。天気が良いので散歩する。昼に好きなものを食べる。午後は本を読む。眠くなったら昼寝する。夕方スーパーへ行き、夜は映画でも見る。
本人がそれで満足しているとして、この一日のどこに問題があるのでしょうか。
会社の売上は増えていません。社会へ大きな貢献をしたわけでもありません。資格も取っていません。自己成長したかと言われれば、昨日とたいして変わっていないかもしれません。
でも、一日を普通に気分よく過ごしています。それではダメなのでしょうか。
FIREを目指して何十年も会社で働き、生活できるだけの資産まで作った人が、ようやく手に入れた平日に昼寝している。それを「生きがいがない」と心配しなければならない方が、私は少し不思議です。
「生きがい」と「楽しみ」は同じではない
生きがいについて考えるとき、一つ整理しておきたいことがあります。
私たちは「楽しいこと」・「好きなこと」・「生きがい」・「人生の目的」を全部一緒にしがちですが、本来はかなり違います。
| 言葉 | この記事での考え方 | 必要性 |
|---|---|---|
| 楽しみ | その瞬間に心地よい、面白いと感じること | あれば生活が楽しくなる |
| 趣味 | 繰り返し楽しむ活動 | なくても問題ない |
| 役割 | 家庭・仕事・地域などで担うもの | 人によって必要度が違う |
| 生きがい | 生きる張り合いや価値を感じる対象 | 自然にあれば大切にすればいい |
| 人生の目的 | 人生全体へ意味や方向性を与える大きな目標 | 必須とは限らない |
私が「生きがいなんて必要ない」と言っているのは、楽しいことまで捨てろという意味ではありません。
むしろ逆です。「大げさな生きがいを一つ探すより、小さな楽しみがたくさんあれば十分なのではないか」、そう思っています。
朝のコーヒーがおいしい。お気に入りの店へランチに行く。株価を見てニヤニヤする。新しいゲームを始める。近所を歩く。旅行へ行く。YouTubeを見る。風呂に入る。昼寝する。
こういうものを「私の人生の目的です」と宣言する必要はありません。ただ楽しいからやる。それだけでいいです。
生きがい探しは「人生にもKPIが必要」という会社員病かもしれない
40代まで会社員を続けていると、目標を持つことに慣れています。
年度目標があります。売上目標があります。人事評価があります。中期計画があります。資格取得目標があります。上司との面談では、「来年度は何を目指しますか」と聞かれます。
仕事なので、それ自体は普通です。問題は、会社を辞めた後まで同じ考え方を持ち込んでしまうことです。
FIREした。では、FIRE後の目標は?今年は何を達成する?社会へどう貢献する?どんな人間へ成長する?毎日を有意義に使えている?これをやり始めると、FIRE生活が新しい会社になります。
上司はいません。しかし代わりに、「自分自身が自分の上司になる」。
朝から晩まで自由なのに、夜になれば「今日は有意義だっただろうか」と自分を査定する。
散歩しただけの日は「何もできなかった」と評価を下げ、読書をすれば「これは自己投資になった」と安心する。
せっかく人事評価から逃げたのに、今度は毎晩セルフ人事評価です。
これでは何のためにFIREしたのか分かりません。
会社員生活では役に立つ「目標を持つ習慣」が、自由な生活では逆に自分を縛ることがあります。
FIREとは、スケジュール帳の空白を新しい予定で埋めることではありません。
「空白のままでも平気になるための自由」でもあるはずです。
「生きがいを見つけなければ」という自己催眠
生きがいは、本来自然に感じるものではないでしょうか。
子どもがゲームに夢中になるとき、「これは私の人生の生きがいとして適切だろうか」と検討しているわけではありません。
犬が散歩へ行きたがるとき、散歩を通じて自己実現しようとしているわけでもないでしょう。
もちろん、人間以外の動物がどのような主観的体験を持ち、「生きがい」に似たものを感じているかは人間には確認できません。ですから「動物には生きがいがない」と科学的事実として断定することはできません。
それでも思考実験として考えると面白いです。猫が日なたで一日寝ていても、「お前は人生を無駄にしている」と怒る人はいません。
犬が毎日同じ散歩コースを喜んで歩いていても、「もっと自己成長できる趣味を探した方がいい」と説教する人もいません。
食べる。寝る。遊ぶ。安心できる場所で過ごす。それで十分です。
ところが人間だけは、「私は何のために生きているのだろう」と考え始めます。
人間には物語を作ったり、将来を考えたりする能力があるので、それ自体は自然なことなのでしょう。
しかし、考える能力があることと、「必ず人生へ壮大な意味を与えなければならないことは別」です。
「生きがいが必要だ」と何度も聞いているうちに、「生きがいがない自分は不幸なのではないか」と不安になる。
その不安から生きがいを探す。見つからないので、さらに不安になる。これはある意味、自分でかけた自己催眠のようなものです。
生きがいを見つけたから幸せなのか。それとも、「これは私の生きがいだ」と名前を付けたことで安心しているのか。案外、境目は曖昧です。
世間体という「ウイルス」が生きがい病を広げる
なぜ人は、生きがいがないことを不安に感じるのでしょう。一つは「世間体」だと思います。
会社員なら「どこで働いているの?」と聞かれます。FIREすれば「毎日何しているの?」と聞かれます。
何もしていないと答えると、次は「暇じゃないの?」。暇ではないと言えば、「趣味は?」。
特別な趣味もないと言えば、「生きがいは?」。何と恐ろしい尋問でしょう。
もちろん、質問する側に悪意はないことがほとんどです。単なる雑談でしょう。
しかし、これを何度も聞かれていると、「何か答えを持っていないといけないのかな」と思い始めます。
そこで私は、世間体を「ウイルス」に例えたくなります。もちろん医学的な意味ではなく比喩ですが、世間の価値観は知らないうちに頭へ入り込み、自分自身の考えのような顔をして居座るからです。
| 世間から聞こえてくる言葉 | 頭の中へ入り込んだ後 |
|---|---|
| 仕事をしていないと暇になる | 仕事がない自分は空っぽなのでは |
| 趣味を持った方がいい | 趣味がない自分はつまらない人間だ |
| 人は社会と関わるべきだ | 一人で過ごす自分はおかしいのでは |
| 生きがいは必要だ | 生きがいを見つけられない自分は不幸だ |
| 第二の人生を充実させよう | 毎日有意義に過ごさなければならない |
こうして見ると、FIRE後まで私たちは他人の採点を気にしています。
「会社員時代は会社から評価され、FIRE後は世間から評価される」、これでは本当の自由とは言えません。
40代独身は「生きがいを説明しろ」と迫られやすい
この問題は、40代独身でFIREを考えている人には特に刺さると思います。
結婚していれば、家族という分かりやすい役割があります。子どもがいれば、「子育て」という説明もしやすいでしょう。
独身の場合、それがありません。仕事を辞めると、会社員でもない。夫でもない。父親でもない。
では何者なのか。こういう問いが出てきやすくなります。
しかし、ここで私は逆に考えたいです。「何者でもなくていいのではないでしょうか」。
肩書のない40代おじさん。それで何か困るでしょうか。
銀行や役所の手続きでは必要に応じて職業を記載しますが、人生全体へ肩書を付ける必要はありません。
「私は○○をする人間です」と説明できなくても、朝起きて飯を食べ、好きなことをして、生活費を自分で賄い、誰にも迷惑をかけずに暮らしている。それだけで十分です。
FIREのために資産を作ったのに、退職した途端「社会的役割」という新しい肩書を探し回るのは、少しもったいない気がします。
FIRE後に「やることがない」と「生きがいがない」は別問題
このブログでは以前、FIRE後にやることがない問題や、FIRE後の暇について考えてきました。
自由時間が多すぎると苦痛になるのか。毎日が日曜日になったら飽きるのか。何もしない自由を楽しめる人はFIREに向いているのではないか。
これは「時間をどう過ごすか」という問題です。今回考えている「生きがい」は少し違います。
暇ではなくても、生きがいがない人はいます。
毎日ゲームや旅行で楽しくても、「人生の目的は何ですか」と聞かれれば答えられない人もいます。
逆に、生きがいを持っていても暇な時間はあります。
つまり、「暇 = 予定の問題」、「生きがい = 意味づけの問題」です。
私はFIRE後の予定については、本人が困っているなら考えればいいと思います。
暇が苦痛なら趣味を増やす。少し働く。人と会う。旅行する。
しかし「人生に意味がない気がする」という理由だけで、無理やり何かを始める必要はありません。
▶ FIRE後にやることがない問題|早期リタイアの意外な現実 / FIRE計画の羅針盤
FIRE後の時間を持て余すこと自体が不安な人はこちらへ。今回の記事は「時間の使い道」ではなく、その時間へいちいち立派な意味を付ける必要があるのかを考えています。
▶ FIREの最大の敵「暇」は本当につらいのか?|何もしない自由を愛せる人こそ早期リタイアに向いている / FIRE計画の羅針盤
何もしない時間への適性を考えた記事です。今回はさらに、「何もしない時間を有意義なものへ変換しなければならない」という発想そのものを疑います。
「生きがいを見つける」はFIRE後の新しい仕事になりやすい
生きがい探しには、少し危険なところがあります。それは、「終わりがないこと」です。
資格なら試験に合格すれば一区切りつきます。住宅ローンなら完済できます。FIRE資産なら目標額を決めることもできます。
しかし「生きがい」は、どこまで行けば見つかったことになるのか分かりません。
- ボランティアを始める、でも本当にこれが生きがいなのか
- 家庭菜園を始める、でももっと自分に合うものがあるのでは
- 旅行する楽しいけれど、これを人生の目的と呼んでいいのか
- 今度は資格でも取るか、でもその資格は社会の役に立つのか
こんなことを繰り返していると、FIRE後の生活が「生きがい探索プロジェクト」になります。
退職した会社では、プロジェクトの進捗会議が嫌だった。
FIRE後は、自分の人生の進捗会議を毎日開いている。これは笑えません。
そもそも、生きがいは探して発見する「正解」なのでしょうか。
何年か好きで続けていたことを、振り返ったら結果的に生きがいと呼べるようになっていた。それくらいでいいのではないでしょうか。
「社会貢献しなければ」という善意もFIREを縛る
FIRE後の生きがいについて語られるとき、よく出てくるのが「社会貢献」です。
ボランティアをしたらどうか。地域活動へ参加したらどうか。若者を支援したらどうか。経験を社会へ還元したらどうか。
もちろん、本人がやりたいなら素晴らしいと思います。
しかし、「FIREしたから社会貢献しなければならないわけではありません」。
会社員として働いてきた期間には税金や社会保険料も負担しています。
FIRE後も消費すれば消費税を払い、所得があれば税金も払います。
そもそも、社会に貢献することを人生の参加費のように考える必要はないでしょう。
誰かを助けたいなら助ける。地域活動が楽しいなら参加する。面倒ならやらない。それでいいと思います。
「他人の役に立っている自分」でなければ存在価値がない、と考え始めると、また会社員時代の「役に立たなければ評価されない」という世界へ戻ってしまいます。
FIREした後くらい、何の役にも立たない午後があってもいいでです。
FIRE後の罪悪感と「生きがい病」は似ているが別物
FIRE後に「働かないことへ後ろめたさ」を感じる問題もあります。
平日の昼間に遊んでいていいのか。同年代は働いているのに、自分だけ楽をしていいのか。
こうした感情は、勤労倫理や周囲との比較から生まれます。今回の生きがい問題は少し違います。
働かないこと自体は許せても、「せめて何か有意義なことをしなければ」と考えてしまう。これが生きがい病です。
| 心の状態 | 頭の中の言葉 |
|---|---|
| 働かない罪悪感 | みんな働いているのに自分だけ休んでいいのか |
| 暇への不安 | 毎日やることがなかったらつらいのでは |
| 生きがい病 | 仕事をしないなら、せめて人生の目的くらい持つべきでは |
最後まで何かを要求してきます。会社を辞めても、「何かしろ」という声だけが頭の中に残る。
だから今回のテーマは、働かないことを許すだけではありません。
「何も成し遂げない自分まで許せるか」、ここまで行って、ようやく会社員的な価値観から少し離れられるのだと思います。
▶ FIREが後ろめたい気持ちはなぜ消えないのか?|働かない罪悪感と自由に慣れない独身おじさんの心理 / FIRE計画の羅針盤
FIRE後に働かないこと自体へ罪悪感を持つ心理についてはこちらで整理しています。今回の記事では、その罪悪感を乗り越えた後にも残る「何か有意義なことをしなければ」という圧力を扱っています。
「何もしない」は人生の損失ではなく、FIREで買った商品そのもの
FIREを目指す人は、何千万円もの資産を作ります。それはなぜでしょう。
会社を辞めるため。自由な時間を得るため。嫌な仕事から離れるため。
つまり、かなり乱暴に言えば、「何もしなくても生活できる時間を買っている」わけです。
ところが実際にその時間を手にした途端、「何もしないのはもったいない」と言い始める。
これは少し変です。5000万円を貯めて自由時間を買ったのに、手に入れた自由時間を見て「空白なので何かで埋めなければ」と焦る。バカです。注文した商品を受け取ってから返品しようとしているようなものです。
もちろん、FIRE資産は何もしないためだけのお金ではありません。
旅行してもいい。勉強してもいい。仕事を始めてもいい。でも、「何もしない」も正規の使い方です。
「空白はFIREの不具合ではありません。空白こそFIREで買ったものの一つ」、この感覚を持てるかどうかは、かなり大きいと思います。
一本の大きな生きがいより「小さな楽しみの分散」でいい
投資では、一つの銘柄へすべてを集中させるより、分散した方がリスクを抑えやすいと考えます。
生きがいも、似たところがあるかもしれません。
「仕事こそ人生の生きがい」という人が、定年や退職で突然仕事を失えば大きな穴が開きます。
「子どもだけが生きがい」という人なら、子どもが独立した後に寂しさを感じるかもしれません。
一つの巨大な生きがいへ人生全部を預けると、それを失ったときの影響も大きくなります。
だったら、生きがいという大きな看板を作らず、「小さな楽しみを分散保有する」くらいでもいいのではないでしょうか。
| 小さな楽しみ | 失っても代わりがある |
|---|---|
| 散歩 | 雨なら家で映画を見る |
| 旅行 | 行けない時期は近場で遊ぶ |
| 読書 | 飽きたらゲームへ移る |
| 投資 | 相場を見たくない日は見ない |
| 外食 | 家で好きなものを食べる |
| 昼寝 | これはだいたいいつでもできる(笑) |
一つ一つは、「人生の目的」と呼ぶほど立派ではありません。
でも、こういう小さな楽しみがいくつもある生活は案外強いです。
FIRE後の生活に必要なのは、巨大な生きがい一本足打法より、「退屈したら別の楽しみへ移れる身軽さ」なのかもしれません。
趣味まで「上達」「収益化」しなくていい
生きがい病の厄介なところは、「趣味まで仕事化しやすい」ことです。
写真を始めた。せっかくだから上手くなろう。SNSへ投稿しよう。フォロワーを増やそう。写真を売れないか。
noteを書いた。アクセスを増やそう。収益化しよう。ランキングを上げよう。
もちろん、それが面白いなら何の問題もありません。しかし、「何か成果を出さなければ趣味をやる意味がない」と考え始めたら、少し注意した方がいいでしょう。
趣味は下手でも構いません。途中で飽きてもいい。三日坊主でもいい。誰にも見せなくてもいい。一円にもならなくていい。
FIRE後の趣味まで生産性を求め始めると、また仕事になります。
「役に立たないからこそ楽しいものもある」、これは会社員生活では忘れがちな感覚です。
仕事では費用対効果を考えます。投資ではリターンを考えます。
しかし人生のすべてにROIを求める必要はありません。昼寝の投資収益率など計算しなくていいのです。
「人生の目的がない」は問題ではなく、答えを要求されていることが問題かもしれない
「人生の目的がない」と悩む人はいます。しかし、そもそも人生に目的があることを前提にしているから悩むのではないでしょうか。
ハサミには目的があります。紙を切るための道具だからです。
会社にも目的があります。商品やサービスを提供し、利益を生み出す組織だからです。
では、「人間は何かのために製造された道具なのでしょうか?」、この問いに一つの正解を出す必要はありません。
宗教や哲学によって答えも違うでしょう。だからこそ、私は個人の生活レベルではもっと気楽でいいと思っています。
- 人生の目的が分からない、別にいい
- 生きがいが見つからない、探さなくてもいい
- 今日やりたいことがない、何もしなくてもいい
- 明日やりたいことができた、やればいい
目的という巨大な答えを先に決めて、そこから毎日の行動を逆算する必要はありません。
「今日の小さな『やりたい』を積み重ねた結果が人生だった」、それくらいで十分なのではないでしょうか。
FIRE後に生きがいがなくて困る人と、困らない人
ここまで「生きがいは必要ない」と書いてきましたが、全員が同じではありません。
役割や目標があることで生活のリズムを作りやすい人もいます。誰かと関わることで元気になる人もいます。何かへ挑戦している方が楽しい人もいます。そういう人が「生きがいを持たない方がいい」と無理をする必要もありません。
今回言いたいのは逆です。「なくても平気な人まで、無理に生きがいを作らなくていい」です。
| FIRE後の感覚 | 無理に変える必要はあるか |
|---|---|
| 毎日予定がなくても快適 | そのままでいい |
| 一人で過ごすのが好き | 無理に人脈を作らなくていい |
| 趣味はあるが生きがいとは思わない | 名前を付ける必要はない |
| 何か目標がある方が楽しい | 好きな目標を持てばいい |
| 人との接点がないとつらい | 仕事・趣味・地域活動などを検討すればいい |
| 何をしても楽しめず、生活そのものがつらい | 単なる「生きがい不足」と決めつけず、必要に応じて専門家等への相談も考える |
FIREは自由を増やすためのものです。
「生きがいを持つべき」も押し付けなら、「生きがいなんて持つな」も押し付けです。本人が快適なら、それが一番です。
FIRE後に必要なのは「生きがい」より自分で機嫌を取れること
私がFIRE後に一つだけ大切だと思うのは、「生きがい」よりもっと小さい能力です。
自分で自分の機嫌を取れること
壮大な人生の目的がなくても、今日は天気がいいから歩こうと思える。
昼飯に何を食べるか考えるだけで少し楽しい。読みたい本がある。眠ければ寝る。
たまに友人と会う。旅行したくなったら行く。相場が面白ければ見る。何もしたくなければ何もしない。
こういう生活を「退屈」と感じる人もいるでしょう。でも、こういう生活を「平穏」と感じる人もいます。
FIRE向きなのは、案外後者なのかもしれません。大きな刺激がないと幸せを感じられない人より、何も起こらない日を普通に楽しめる人の方が、長いFIRE生活では強い。
毎日が人生最高の日である必要はありません。
「悪いことが特に起きない普通の日を、普通に悪くないと思える」、それくらいで十分です。
生きがいを持たない自由まで含めてFIRE
FIREには、いろいろな自由があります。
会社を辞める自由。働かない自由。住む場所を選ぶ自由。平日の昼間に出かける自由。人間関係を選ぶ自由。お金の使い方を選ぶ自由。
私はそこへもう一つ追加したいです。「生きがいを持たない自由」。
立派な目標がなくてもいい。社会貢献しなくてもいい。自己成長しなくてもいい。誰かから必要とされなくてもいい。何者かにならなくてもいい。
今日一日を気分よく過ごせたなら、それで十分だと思える自由です。
これは、意外と難しい自由です。私たちは何十年も、「何かをしなければ価値がない」という世界で暮らしてきたからです。学生なら勉強。会社員なら仕事。親なら子育て。そしてFIREしたら生きがい。
人生のどの段階にも課題を置かないと落ち着かない。
しかし、FIREとは本来、課題を一つ増やすためにするものではないです。
「課題がなくても暮らしていける状態を買うこと」、そこまで含めてFIREだと私は思っています。
何もしない人生は本当に「もったいない」のか
「せっかく自由になったのに、何もしないなんてもったいない」、これもよく聞く言葉です。
でも、何をもって「もったいない」と判断しているのでしょうか。
海外旅行を100か国すれば有意義。家で本を読んでいれば普通。一日昼寝したら無駄。そんな客観的な採点表はありません。
本人が100か国旅行したいなら行けばいい。家が一番好きなら家にいればいい。寝たいなら寝ればいい。
時間の価値は、どれだけ予定を詰め込んだかでは決まりません。
むしろ会社員時代には、「何もしない」という選択が最も贅沢だったはずです。
平日の朝、目覚まし時計を止めてもう一度寝る。月曜日の昼に混んでいない店で飯を食う。天気が悪いので一日家から出ない。
こういう時間を買うためにFIREしたのなら、堂々と使うべきです。
自由時間を手に入れた後まで、「効率よく使わなければ」と焦る必要はありません。
40代独身だからこそ「自分だけの正解」が作れる
40代独身は、世間一般の人生モデルから少し外れやすい立場です。
結婚。子育て。住宅購入。出世。定年。老後。こうした一般的なルートから外れていると、「では何を目標に生きるのか」と聞かれやすくなります。
しかし逆に言えば、自分で決められる部分が大きいということでもあります。
子どもの教育費を考えなくていい人もいます。家族の都合に合わせて住む場所を決めなくていい人もいます。会社を辞める時期も、資産があればかなり自分で決められます。
せっかくこれだけ自由度が高いのに、最後に「世間から見て立派な生きがい」を自分へ課す必要はありません。
独身中年おじさんのFIRE生活なんて、もっと適当でいいのではないでしょうか。
昨日は散歩。今日は昼寝。明日は気が向いたら遠出。来週は何も決めていない。
予定がないから不安なのではなく、予定を入れなくても誰にも怒られない。
これは会社員にはなかなか買えない贅沢です。
FIREは「何者かになる人生」から「ただ生きる人生」への移行かもしれない
学生のころは、何者かになることを求められます。
良い学校へ行く。良い会社へ入る。仕事で結果を出す。昇進する。資格を取る。収入を上げる。資産を増やす。
FIREを目指す人も、ある意味このゲームをかなり真面目にやります。
節約する。投資する。資産額を確認する。目標へ近づく。
そしてとうとうFIRE資産を達成した。ここで初めて、「もう何者にもならなくていい」という選択肢が出てきます。
ところが私たちは長年走り続けてきたので、止まり方が分かりません。
そこで今度は「充実したFIRE民」になろうとする。
海外旅行するFIRE民。ボランティアするFIRE民。趣味を極めるFIRE民。副業で稼ぐFIRE民。そしてまた、新しい肩書を作る。
もちろん楽しいならやればいいです。でも、そうでないなら「ただの無職のおじさん」で構わないでしょう。
「経済的に自立し、自分の生活を自分で賄い、好きなように一日を過ごしている」、十分です。
FIREは「すごい第二の人生を始めるイベント」ではなく、「すごくない一日を安心して過ごせるようにする仕組み」でもあると思います。
まとめ|FIRE後まで「立派に生きる」必要はない
「FIRE後に生きがいは必要なのか?」、私の答えは、かなり単純です。
「欲しい人にはあればいい、でも、必要ない人まで探す必要はない」です。
生きがいが自然にあるなら大切にすればいい。
趣味があるなら楽しめばいい。社会貢献したければすればいい。また働きたくなれば働けばいい。
でも、何も特別なことをしたくないなら、それでもいい。
問題なのは生きがいがないことではありません。
「生きがいがない人生は価値が低い」と自分で思い込んでしまうことです。
会社員時代には、成果を出せ。成長しろ。役に立て。目標を持て。と言われます。
FIREした後まで、趣味を持て。社会とつながれ。生きがいを作れ。第二の人生を充実させろ。と言われたら、いつ休めばいいのでしょう。
生きがいを探すことが悪いのではありません。
「生きがいを探さなければならないと思い込むことが、少し不自由」なのです。
猫が日なたで寝ているように、今日は気持ちがいいからここにいる。
腹が減ったから飯を食う。眠いから寝る。面白そうだから遊ぶ。
人間は猫ほど単純には生きられませんが、FIREした後くらい、その感覚へ少し近づいてもいいのではないでしょうか。
大きな人生の目的がなくても、小さな楽しみはあります。
何者にもならなくても、一日は過ぎます。何も成し遂げなくても、人生は続きます。
そして、それを本人が悪くないと思えているなら、他人が「もっと有意義に生きた方がいい」と採点する筋合いもありません。
FIREで買いたいのは、会社を辞める権利だけではありません。
「何もしなくてもいいと、自分に許可を出せる時間」、私はそれも、経済的自立のかなり大きな価値だと思っています。
FIRE後に生きがいなんて、別になくてもいい。見つかったらラッキー。見つからなくても問題なし。
人生の意味を探すより、今日の飯がうまければそれでいい日があっていい。
むしろ、そういう何でもない一日を安心して過ごすために、独身中年おじさんは何十年も働いてFIRE資産を作っているのかもしれません。
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・仕事がないことと自分の価値を切り離す考え方を整理しています。今回の記事ではさらに一歩進み、「会社以外の場所で価値を証明する必要すらないのではないか」と考えています。
▶ 韓国の「休んでいる若者」から見るFIREの本当の価値|働かない自由を「人生の詰み」にしない40代独身の出口戦略 / FIRE計画の羅針盤
・同じ「働いていない状態」でも、選択肢があることがFIREの強さだと考えた記事です。今回の「生きがいを持たない自由」と合わせると、働き方だけでなく生き方そのものを選ぶFIREが見えてきます。
※本記事で使用する「生きがい病」「世間体というウイルス」「自己催眠」等の表現は、医学的・心理学的な診断名や専門用語ではなく、「人生には立派な目的が必要だ」という社会的な思い込みを説明するための比喩です。
※本記事は、生きがいや趣味、仕事、社会参加、家族との関係等の価値を否定するものではありません。何を人生の楽しみや目的とするかは人によって異なり、生きがいを持つことも、あえて持たないことも本人の自由です。
※長期間にわたって何をしても楽しめない、日常生活に大きな支障がある、心身の不調を感じる等の場合は、単純に「生きがいがなくても大丈夫」と自己判断するのではなく、必要に応じて医療機関や専門家、相談窓口等への相談を検討してください。
※本記事はFIRE、早期リタイア、退職等を推奨・保証するものではありません。FIREの可否は、収入、資産、生活費、健康状態、家族構成、住居、税金・社会保険等を踏まえて個別に判断する必要があります。
※投資には元本割れのリスクがあります。新NISA、投資信託、株式、債券等を利用する場合は、商品内容、リスク、手数料、税制、家計状況等を確認したうえで、ご自身の判断で行ってください。



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